クーリエ・ジャポン 02/15日号 (02月01日発売)【SPECIAL REPORT】戦慄のシミュレーション テロリストが「核」を手にする日つい、先日のこと。「米インド平和原子力協力法」も成立した。アメリカはインドを「先進的核技術を持つ責任ある国家」と認め、民生用の原子力の技術提供等の協力にも踏み切った。これについては、未加盟国への核技術協力を禁じたNPTの規制に例外を認めることであり、NPTの根幹を揺るがすものとして批判もあったが、この動きを唇を噛み締めながら注視している国がある。核の破壊力政治的影響力の大きさから、手に入れたいと願っている国がそれにあたるが、実は最も警戒しないといけないのは国ではない。なぜなら、核の使用をためらわせたのは相互確証破壊。いわゆるMADという概念だったからだ。報復をされても失うものが少ない団体。そう。テロリストグループが核を手に入れた場合はどうなるのか。この場合、この概念がどこまで有効に働くかは極めて不明だ。そのため各国は衛星による監視や、船舶の動向に注意を払っているのだが、この記事は、自らがテロリストになって核を選択し、入手する手段を細かく書いている。ロシアのオゼルスクという封鎖都市に入り、そこでいかに核物質を手に入れるか。そしてどのルートで逃げるのか。こういった事がストーリー仕立てで展開される。もちろん「それは不可能だろう」と失笑する場面もあるが、しかし、具体的記述を交えた内容は読んでいてドキドキするし、テロリストが核を手に入れる日は来るのかもしれないとも思わせられてしまう。 |
週刊ポスト 01/26日号(01月15日発売)ポスト・ノンフィクション特別版 「兵士」になれなかった三島由紀夫 杉山隆男三島由紀夫を評して、「死後も成長し続ける作家」と言った人がいるが、なんてわかりやすい表現なのだろう。三島は30年以上も前に、市ヶ谷台で自ら命を絶ったが、今も変わらず憂国忌が開催され、三島の檄が確認されている。また、昨年は、劇団四季では、親交のあった浅利慶太が、三島原作の「鹿鳴館」で異例のロングラン公演を行った。この二つの事例は、直接関係が無いようだが、僕には、この二つを結ぶ印象的なキーワードがあった。それは「欺瞞」だ。三島は自衛隊を、『軍の名前を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質な欺瞞の下に放置されて来た』とした。鹿鳴館でも「西洋に対する日本の欺瞞」が、夫婦の互いの仕掛けた欺瞞とあいまって、その欺瞞の醜さと末路を描いているが、これは昭和の偽善を皮肉っているのではないかとも思う。いわば形は違えども、三島の中で訴えている事は同じだったのではないかと思うのだ。今、防衛庁が防衛省に変革を遂げ、新たな時代に入ろうとしている。このタイミングで、三島をこの特集に持ってきたポストは読まざるをえなかった。しかも筆は「兵士に聞け」以来の作品で、見事に自衛隊隊員の生の姿を伝える杉山隆男氏。彼が三島と触れ合った隊員の声を届ける特集が面白くないわけが無い。これまで伝えられなかった三島と自衛隊の関係が見えてくるのは間違いないだろう。 |
ニューズウィーク日本版 12/27日号(12月20日発売)【Cover Story】アメリカが描いた硫黄島不思議な表紙の事はさておき、硫黄島。これは、何度も、あの地を訪れている僕が書かないといけないという使命感にも似た思いで雑誌を早速読んだ。読後の感想としては、不満の残るものであったのは確かだが、これまでの釈然としない思いに道筋が与えられた意味では、読んで良かったといえる記事だった。記事の中にもあるが「一般に国の歴史にかかわるテーマはその国に任せておく方がいい」というのは、その通りだと思う。これは映画だけではなく文章その他にも通じるものだと思うが、しかし今の日本映画が、戦争をどう描いているかを考えると、こと、日本における戦争関連の事例では、このことが通じないのではないかと不安も感じる。この「硫黄島からの手紙」にしても「父親たちの星条旗」にしても、硫黄島の悲惨さは、記事中の意見とは異なり、まだまだ描ききれていないと僕は思う。あの壕の中に一回でも入れば、当時はどんな環境下でどんな事が起きていたのか想像に難くないが、それが映像からはどうしても感じられない。島に隠れている無数のドラマにもスポットが多数当てられたとも思えない。だが、明らかに今の日本の戦争映画とは一線を画したものがある。それはなぜだろうという一つの答えがこの記事だ。この分析に対して、いろいろな意見もあろうが、議論のきっかけになる事は間違いなく一度は読む価値があると思う。そして、なぜ、このような映画が日本で作られなかったかを考えるべきであろう。満天の星の下でそよぐ風に祈りを感じ、波の音に兵士の叫びを聞いた硫黄島。まもなくあの戦いから62年目を迎えるが、今も1万柱を超える遺骨が、帰れる日を待ちつつ眠っている。 |
週刊ポスト 12/22日号(12月11日発売)●ポスト・ノンフィクション・シリーズ第23弾・最終回 「日本兵を癒した温泉」秀吉や真田一族が2ヶ所。家康が5ヶ所。謙信が8ヶ所。信玄が26ヶ所。これ、何の数字かわかったあなたは温泉通。戦国時代の武将ゆかりの温泉として有名な数が上記の数字。これが全部ではないと思うけれど、当時の武者が戦さで傷ついた身体を温泉で癒していた記録も残っている。もちろん、これは日本だけのことではなく、世界的に多くの温泉が戦争下でも療養所として利用され、戦争終了後に発展していった温泉の例もあるのだが、少なくとも、日本は、温泉を愛する気持ちは、世界でトップクラスだったのは間違いあるまい。それを示す記事の一つが、今回のポストに4回にわたって連載された「日本兵を癒した温泉」だろう。今回が最終回となった記事だが、三十代女性ライターが背伸びをしない目線で、丁寧に取材を重ねた結果が、実に爽やかに描かれている。「私の人生で最も辛いものが戦争なら、その時に私を癒してくれた温泉は天国だった」「温泉に癒されたとか……そんな甘いものじゃない」「日本人は怖かった」「あの戦争は日本人が勝ったら、ここはもっと良くなっていたと思う」 これらの言葉は、どれも取材で得られた生の声だ。これら取材結果を横糸にし、歴史事実を縦糸にして丹精込めて紡いだ結果が、この極上の織物のような記事になったのだと思う。 |
ニューズウィーク日本版 12/13日号 (12月06日発売)【Cover Story】毒殺国家ロシアの闇「マイラノフスキー(スターリンの殺し屋)の手口としか考えられないな」 これは、シベリアに抑留されていた、近衛元首相の子息、近衛文隆中尉が息を引き取った経緯を聞いたブレジネフ氏がつぶやいた言葉だという。ソ連における毒殺の手口はスターリン時代に発達したというが、その後も「あれは毒殺だったのではないか」という噂は、数多く聞こえてくる。もちろん、中には「俺がやった」という自白情報もあるのだが、いずれにしても、暗殺と言うのは痕跡が残らないように行うのが常であり、真実を知るのはごく限られた人間だけであろう。ロンドンで起きた、ロシア情報機関の元幹部リトビネンコ暗殺問題は、未だ真相は闇の中だ。だが、今回のニューズウィークの記事は、この問題を正面から取り上げた。これを読めば、リトビネンコがなぜロンドンで狙われたのか、また、ヨーロッパにおけるロシアに対する印象の変化などが読み取れる。そして、何よりも、この数年で次々と謎の死を遂げる人間の多さに驚く事と思う。今、ロシアで何が起きているのか。ロシアはどこへ向かおうとしているのか。この記事を読んでから気になって仕方がない。 |
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